平和の夏休み
一学期の終業式を抜け出して駆けつけた事件現場で、平次は犯人のしかけた爆発に巻き込まれた。 崩れてきた柱で頭を直撃し、割れたガラスの破片や木片が目に入り――幸いなことに3日がかりで行った精密検査の結果は異常なし。 ではあるが。 10日経った今も、目の包帯は取れていない。 「無理に外したら今後の回復に関して保障はしない」と医者に明言されていることもあり、平次は珍しく大人しくしている。 ――服部平次、全治一ヶ月。
「平次、具合どう〜?」 和葉が平次の病室のドアを開けた。 「和葉ぁ。退屈で死にそうや〜」 中からは、聞いたことのない平次の甘えた声がする。 「何言うてんの。アンタみたいなしぶといの、殺しても死なへんわ」 そう返して、和葉は病室へと入る。 途端に、平次が眉をひそめた。 「……何や? 誰かおるんか?」 なるべく気配は消していたのに、目が見えなくてもそれに気づくのはさすがと言うべきか。 「ああ、うん。剣道部の皆がお見舞いに来てくれてるよ」 和葉はこともなげに言って振り返る。 「何してんの? 入りぃ」 「あ、ああ……」 遠慮がちに入ってきたのは、剣道部仲間の5人。 ――平次の甘えた声に驚いて、入りにくかったのだが……。 ベッドに半身を起こしている平次は、目の包帯が痛々しくはあるが、顔艶も良く元気そうに見えた。 「皆がな、お見舞いにってフルーツの盛り合わせくれたんよ。すぐ食べる? オレンジとリンゴとバナナとあるけど」 「おお、すまんな。ほな、リンゴもらうわ」 「ん。皆も適当に座って? お茶淹れるわ」 平次の病室は、特別室、とまではいかないまでも、ソファのある個室を使っていた。 ソファにはさすがに全員座れないので、和葉がパイプ椅子を用意する。 そして冷蔵庫を開いて麦茶を出しながら、 「あ、沖田くんがくれた羊羹もちょうど人数分あるわ。これも食べてもらうな?」 「おお、食え食え。『沖田を食う』ってな。ほんで、次こそ沖田を倒すんや! そもそも、羊羹なんぞ日持ちのせんもん大量に用意しおって。うちは3人家族やぞ。和葉の家族入れてもぎょうさん食えるわけないことくらいわかれっちゅーんじゃ」 「何バチあたりなこと言うてんの」 「沖田も来たんか?」 「いや、届けさせおった。しかも、地方発送せん京都の有名店や。嫌味な男やで」 「平次、いい加減にしとき? 沖田君な、『あんまり甘くないお菓子はそこのしか知らんのや。服部は見舞い客も多いやろうから、多めに入れといた』って言うてたよ。気ぃ使こてくれたんやん」 「……お前、沖田に電番教えたんか?」 「はあ? 何言うてんの? アンタが『入院中は電話番しとけ』言うて、アタシに携帯持たせてるんやんか! だからお礼をと思て、アタシがアンタの携帯からかけたの! ほっといたら、アンタどうせ、退院してもお礼1つせんやろ?」 「さよか。そらどーも」 「何やの、その気のない言い方。そもそも聞かれてもないのに教えるわけないやん」 ……沖田もほんまは、聞きたいんちゃうんかなあ……。 ツッコミは、もちろん心中に留めておく。 涼しげなグラスと器に麦茶と羊羹を入れて見舞い客に配った和葉は、次にリンゴを手に取り、器用に皮をむき始めた。 皮をむき終わったリンゴを8等分に切って芯を取り。それを更に半分に切っていくのは、平次が1口で食べられるようにとの配慮なのだろう。 「しかし、ホンマついとらんわ。夏休みがまるまるパアや」 「夏休みで良かったやないの。アンタ、出席日数ヤバい自覚ないの? 成績良うても学校行かんかったら留年するで?」 「へえへえ」 「もう、ホンマにわかってんの? あ、そうや。経過が順調やから、来週アタマにでも包帯取ってみよか、ってセンセイが言うてはったよ。もちろん、一気にやのうて、徐々に光に慣らしていくんやけど」 「ほんまかっ!?」 「嘘ついてどないすんの。言うとくけど、本やらテレビやらはまだまだおあずけやで? 包帯もまた巻かれるし。毎日少しずつ、包帯取っとく時間を延ばしてく、て話やわ」 「それでもええわ。長かったー。もう、瞼が痒うて痒うて」 おどける平次に和葉はくすりと笑う。 「平次、はい。むけたで」 「ん」 ――ここで、剣道部の面々は思わずあんぐりと口を開けてしまった。 リンゴを入れた器は平次の手には渡らず――平次のベッドに座った和葉が平次の口に運んでいるのだ。 平次も当たり前のように、かぱりと大きな口を開けている。 しかも。 シャリシャリというリンゴを食べる音が気になったのか、和葉がじっと平次を見て言う。 「美味しそうやな……アタシももらおーっと」 そのまま、同じフォークでリンゴを自分の口に入れた。 おいおいおい、俺らの存在忘れんなや……。 5人が5人とも思ったところで、和葉が視線を感じたのか振り返った。 「どうしたん? ――あ、皆もリンゴ食べる? もいっこむこか?」 ……リンゴが欲しいと思われたのだろうか……。 無言でぶんぶんと首を振る5人に、和葉は不思議顔で首を傾げたが、すぐにまた平次にリンゴを食べさせた。 ――その後も、5人はどこか居心地の悪さを感じていた。 ここに居てはいけない雰囲気というか、2人の中に入っていけないというか――。 学校で平次と和葉が2人で話していても、間に入るのは簡単なことなのに。 怪我を負っている平次の態度が甘えているせいか、それとも病室という密室のせいなのか、それはわからないけれど。 5人が限界を越えたのは、和葉が平次の身体の上に乗ったときだった。 そうは言っても、陽が落ちて風が出てきたから、平次の身体の向こうにある窓に身体ごと手を伸ばしただけなのだが。 服を着たままとはいえ、白いベッドの上で重なる男女という組み合わせは、健全な男子高校生には充分すぎるほどの刺激だ。 「は、服部! 俺らそろそろ帰るわ!」 しめし合わせたように、5人が一斉に立ち上がる。 「ん、そうか?」 「遠山、麦茶と羊羹、ごちそうさん!」 「……俺にやないんかい」 「あ、そういや、遠山はどうするんや? 暗なってきたし、俺らで送ろか?」 1人の不用意な言葉に、他の四人がバレないように蹴りを入れる。 ――余計なこと言うな、アホっ! ほれ、服部のこめかみぴくってなったやんけ! 「ありがと。でもうちは大丈夫。今日は平次ん家のおばちゃんが来てくれる予定やねん。あ、平次、言うの忘れてたわ。頼まれてた着替えとCD、そん時におばちゃんが持ってきてくれるから」 ――着替えまで頼んでんのかい! 「ほな、俺ら行くわ。服部、大事にせえや」 身体も、和葉のことも。 「おう。おおきになー」 平次はその意味に気づいてないだろう。 能天気に手を挙げた。
――帰り道。 「なあ、あれ、2人とも無意識なんやんな……」 「意識してやってたらたまらんわ!」 「『和葉ぁ、暇で死にそうや〜』って、オクターブ上がってたな……」 「沖田と電話したこともイラついとったし」 「しかし、ケータイ勝手にいじって平気ってどういうことやねん!? 普通はケータイ見たら別れる別れんのケンカになるやん!」 「しかもあのリンゴ……。遠山『あーん』とか言わんかったよな」 うんうん。全員が頷く。 「ちゅーことは……」 「あれがあいつらには普通っちゅーことやな……」 「……2人ともトシゴロやろ……」 「あり得へん……」 全員が頷く。 「遠山、服部の検査結果が出て本当に落ち着くまでずっと部活休んでたんやで」 「へー」 「何でお前がそんなこと知っとんねん」 「ほれ、服部のお袋さんが、うちの顧問に挨拶に来たやろ? そん時、俺、おばさんに話しかけられてん。『合気道部の先生が来てはるか知らんかなあ』って。で、『さっき職員室で見かけましたよ』って答えてんけど、『何で合気道部?』って思ってたのが顔に出てたんやろな。『和葉ちゃんがな、平次のそばから離れんのよ。夜、家に帰すのもやっとでな。本当は無理にでも部活に行かせるのが親心かもしれんけど、集中できんままやったら、部活中に大怪我するかもしれんやろ? せやから、和葉ちゃんもしばらく部活お休みさせてもらお思て』って」 「……へー」 「っちゅーか、それ、普通は遠山の親がやることちゃうか?」 「『親心』って……どっちの意味で言うてんのかなあ……」 「……あれでまだ『ただの幼馴染』言うか、あの2人は」 「ええ加減認めえっちゅーねん」 ――結局はいつもと同じ結論に達し、彼らは家路についたのだった。
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