水原警部の決意
珍しく早く帰った水原は、玄関に男物の靴を見つけた。 以前なら血相を変えて娘の部屋へ乗り込んだものだが、この靴には見覚えがある。 「また燈馬君が来てるのか」 妻に向けた言葉は、聞くというよりも確認だった。 「ここのところ、ちょくちょく来てくれるのよ。これで可奈の受験も安心ね。――もうすぐ夕食できるから、2人を呼んできてちょうだい」 妻は夕食の用意をしながらそんなことを言う。 水原からすれば、ずいぶん能天気だと思う。 年頃の、若い男女が2人きりでいるのに。 ――燈馬は安易に行動する人間ではない。 もし、可奈と燈馬が「そういう関係」になっていたとしても、好奇心や一時の激情だけでの行動ではないと断言できる。 そう信じられる男に娘が出会ったことは、父親として幸運なことだろう。 が、燈馬が真面目で思慮深いからこそ、水原は不安に思うことがあった。
夕食後、水原は帰宅する燈馬と一緒に家を出て、近くにある公園に燈馬を誘った。 2人してベンチに座り、星空を見上げている燈馬を見る。 出会った頃よりも、男らしい顔つきになった――心なしか、体格も多少は良くなったように見える。 それでもまだまだ可奈の方が強いのだろうが。 水原はすぐかっとなる娘に少し苦笑して、口を開いた。 「……君は、その気になれば、大富豪になれるそうだな」 燈馬は無言で次の言葉を待つ。 「オレは、可奈が可愛い。しかし、甘やかしてきた覚えはないし、これからもそのつもりはない。 お世辞にも勉強ができるとは言えん可奈が進学して職に就くことは、君から見たら無駄なことに見えるかもしれん。 だがオレは、可奈には社会経験をさせるべきだと思っとる」 燈馬は頷く。 「君は、卒業したらどうするんだ? アメリカに帰るのか?」 「いえ、まだどうするか決めていなくて……先生も、僕には進路指導する気はないようで。 でもMITに戻る気はありませんし、今のところ、日本を出る予定はありません」 「そうか。ゆっくり考えたらいい。君は同い年の子たちが今から経験することをすでに経験ずみなんだから、みんなが追いついてくるまで時間はたっぷりある。 ……可奈はどうするのかな。燈馬君、何か聞いてるか?」 「い、いえ……」 ――聞いているのか。 水原の表情から察してか、燈馬が慌てたように言う。 「そのうち、水原さんから話があると思いますよ。希望を聞いたら、警部もきっと喜ぶと思います」 「そうか」
しばらく沈黙した後、水原は大きく息を吸って、吐いた。 「……あの子は、俺の宝物なんだ……」 「水原警部……」 顔を上げた水原の目に映ったのは、燈馬の困ったような笑顔だった。 「僕にとっても、水原さんは宝物ですよ」
翌朝。 「おはようございます、水原さん」 「おはよう!」 可奈は、燈馬を見ると駆け寄った。 「昨日、父さんと何かあったの? 父さん、ちょっと出てくる、なんて言って帰り遅かったし」 「ええと、それは……」 燈馬はあさっての方向を向いた。 ――燈馬にとっても、ずいぶん照れくさい話だったのだ。 「さ……さあ? しばらく一緒に歩いて、すぐに別れましたけど?」 「あ、その顔、何かあったな。この可奈ちゃんに隠し事なんて、100年早い!」 可奈はそう言ってヘッドロックをかけてくる。 「わわっ、そ、それよりも、数学の宿題ちゃんとやりましたか? 1限ですよ」 「あ、そうだった。早くガッコ行こ! で、写させてね」 話を逸らすと、可奈は何もなかったかのように腕を解いて走りだした。 燈馬もその後を追いかける。 ――昨日、水原と交わした約束、それは「可奈を日本に住まわせること」。 この先、燈馬と可奈が結婚することになったなら、それだけが条件だ、と水原は言った。 当人同士が気持ちを打ち明けていない今の状態で、ずいぶん気の早い話だと思う。 けれど、水原が可奈のパートナーとして自分を認めてくれたことが誇らしかった。 「燈馬君、早く! チャイムが鳴っちゃうよ!」 「待ってくださいよ!」 軽快に動く可奈の長い髪を見ながら燈馬は願った。 ずっと可奈と、そして水原と共にいられますように、と――。
□あとがき□ とりあえず、婿と舅の問題はクリアということで。 けど、いざ「可奈さんを僕にください」とか挨拶に行ったら、水原警部は納得しつつも燈馬君を殴りそうだ。 そして結婚式では号泣(笑)。
今回は水原警部視点なので「想」ではなく「燈馬」で書いてみました。
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