……。 …………。 ………………。 ……扉の向こうで声がする。 1人暮らしのこのマンションで、誰かがいるわけがないのに――。 一応、「高級」の部類に入るマンションだ。 隣や廊下の声が聞こえるような部屋ではない。 なのに、なぜ――? 想はまぶたを上げた。 いつもより重く感じるのは気のせいだろうか。 うっすら目を開けるとドアが開き、薄暗かった部屋に光が差し込むのが見えた。 「あ、燈馬君、目が覚めた?」 「水原さん?」 可奈がドアの隙間から顔を出す――なぜ、可奈がいるのだろう? 起き上がろうとすると、可奈が駆け寄ってきた。 「ダメだよ、急に起きちゃ。燈馬君、倒れたんだよ。覚えてない?」 「倒れた――」 そうだ、放課後、この部屋で可奈に勉強を教えていて――帰る可奈を送るために立ち上がろうとしてからの記憶がない。 そのときに倒れたのだろう。 「そうですか。――ところで、水原さんはなぜここに?」 「目の前で倒れられて、放っとけるわけないじゃん! 勝手に悪いとは思ったけど、目が覚めるまで泊まらせてもらってたよ」 「泊まらせて……?」 可奈の言葉に驚いて部屋を見てみると、寝室の片隅に見慣れない布団が畳んであってギョッとする。 「警部には何て言ってあるんですか!?」 対する可奈はきょとんとする。 「何てって、『燈馬君が倒れたから、看病する』って言ったよ。休まずに学校行くなら泊まってもいいって。この布団もお父さんに運んでもらったんだよ。燈馬君の家、客用布団なさそうだし」 ……。 あまりの放任主義に、想は絶句する。 想の様子など全く意に介さず、可奈は呑気なものだ。 「燈馬君、お腹空いてない? 3日間も眠ってたんだよ。お粥かうどんでも作ろうか」
……3日? 「しまった! ロキにメールしないと……!」 再度、起き上がろうとした想を制したのは、可奈とは別の声だった。 「俺ならここにいるぜ」 「ロキ!」 「過労と睡眠不足だってな。連絡が来ないから来てみれば、お前は!」 「ちょっとちょっとロキさん!」 怒鳴るロキを、可奈が慌てて止める。 「燈馬君は目が覚めたばかりなんだから。……話が見えないんだけど、燈馬君が倒れたのとロキさんと、何か関係があるの?」 2人を交互に見る可奈に、想が目を伏せたまま話始めた。 「……MITでのプロジェクト、最初の予定どおり、僕も参加してるんです」 「えっ?」 「後任が見つかるまで、という約束なんですが、なかなか適任者がいないみたいで……」 「当たり前だろ」 ロキの口調は荒いままだ。 「お前レベルの人材がそうそういるわけないだろ。もっと自分の価値を自覚しろ!」 「……」 「ボストンとの時差が13時間。ちょうど昼夜逆転だな。夜に研究して、昼間は行かなくていい学校か? そんな片手間にできるプロジェクトじゃないってわかってるだろ。挙句の果てに倒れてんじゃねえよ」 「……ごめん」 「ロキさん、落ち着いてってば」 「元はといえば、お前のせいだろうが」 「私?」 ロキの矛先が可奈へ向く。 「こいつは完全にアメリカに帰ってくるつもりでいたんだ。住む部屋を契約して荷物も全部送って。それをお前が」 「それは違う」 想がロキを遮った。 「水原さんは、アメリカに帰っても頑張れって言ってくれた。自分で日本に残ると決めたんだ。水原さんは関係ない」 「燈馬君……」 想は、可奈の視線を感じながらロキを真っ直ぐ見つめた。
視線を外したのは、ロキの方だった。 「あーあ、やってらんねえよ」 「ロキ?」 「帰るわ。俺だって仕事山積みなんだよ」 「帰るって」 突然の言葉に、想と可奈は唖然とする。 ロキは想に近づき、人差し指を立てた。 「お前の心配するのは水原だけじゃないんだぞ。教授だって、あの年で日本に来るって聞かなかったんだからな」 「……」 思わぬ言葉に、想は口をつぐむ。 うな垂れる想を見て、ロキはため息をついた。 「燈馬はオンナにウツツを抜かして日本から出られなくなりました、って教授には言っとくよ」 「ロキ!」 大声を出す想を見て、ロキは笑う。 「冗談だよ。けど、お前はもっと自分を大切にしろ。わかったな」 「うん……ごめん。ありがとう」 「じゃあな。――水原、燈馬の監督頼むな」 「あ、うん」 思わず頷いた可奈を見て、ロキは出て行った。
「びっくりした〜」 可奈はまだドアを見ている。 「そうですね」 想が頷くと、可奈の厳しい視線が向けられた。 「ロキさんだけじゃないよ、燈馬君にもびっくりだよ! 大変なら大変って何で言わないの! 知ってたら、宿題手伝ってとか言わなかったのに!」 「すみません……」 「謝るだけじゃダメだよ。ロキさんからも頼まれちゃったし、今度からはちゃんと言ってね。 ――さ、そうと決まればご飯にしよう。お粥とうどん、どっちがいい?」 「では、お言葉に甘えてお粥をお願いします」 「はいはい」 可奈が寝室を出て行く。 想はベッドに倒れ込み、息を吐いた。 ――甘かった、と思う。 体力に自信があるわけではなかったが、まさか倒れるなんて思ってもみなかった。 たくさんの人に迷惑と、そして「心配」をかけた。 ロキや教授の顔、そして今後のこと――いろんなことに頭を巡らせていると、いい匂いがしてきた。 「燈馬君、できたよ」 寝室のドアが開き、可奈が土鍋の載った盆を持って入ってくる。 「熱いから気をつけてね」 「はい」 想は起き上がり、盆ごとお粥を受け取った。 ――とりあえず、食べて休んで。 今後のことはそれから考えよう。 「いただきます」 想は手を合わせ、土鍋の蓋を取った。
□あとがき□ 最終話後。 アメリカ行きをドタキャンしたって、プロジェクトまでやめるわけにはいかなかったんじゃないか、という妄想。 1日メールが来ないからってわざわざアメリカから駆けつけたロキ……燈馬君のこと、大好きだな(笑)。
ボストンとの時差は本来14時間だそうですが、3月からサマータイムに入るのでこの時点では13時間の時差になる、はずです。 ……しかし、3月から「サマータイム」って……ボストンて、まだまだ寒いんじゃないのか?(汗)
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